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歌会のお知らせ
☆12月の歌会日程をお知らせします。
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12/6(火) 18:30- 歌会
12/15(木) 18:30- 文語歌会
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京大短歌22号

『京大短歌』22号 が完成しました。
現役会員15名+OB・OGなど13名の作品を掲載。「京都歌枕マップ」、望月裕ニ郎・土岐友浩・吉野裕之についての評論などを収めた144ページの一冊です。
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今月の一首評
きみはきのう惑星と呼ばれそしてひらかれた窓から入る朝鮮に
瀬戸夏子 (「pool」『率8号』)
「きみはきのう惑星と呼ばれ」。3-3-5-3のしらべのすばやさと安定感。惑星は、その公転の中心にある巨大な恒星のエネルギーの引力と、自らの遠心力のバランスにより、奇跡的に(また絶望的に)半永久的な周期性を獲得しているものである……これに反して「きみはきのう惑星と呼ばれ」の軽さは、重たい武器を細い体で振り回すようなアンバランスさを感じさせる。おおぶりな名付け。こぶりな文脈。エピソード。

 それ以降についてはいろいろ考えられる。

,みはきのう惑星と呼ばれ/そしてひらかれた窓から入る朝鮮に……/……
△みはきのう惑星と呼ばれ/そしてひらかれた窓から入る、朝鮮に
きみはきのう惑星と呼ばれ/そしてひらかれた。窓から入る朝鮮に

…鮮が、ひらかれた窓から入る場合。「そして……入る」は朝鮮にすべて係る。
〈惑星〉であるきみの家に入る、朝鮮。その朝鮮の手によって、きみは――?オチの欠落した三コマ漫画。ジャンプのないホップ・ステップ。こういう手も、作者には時折見られる。
一首を上から下まで勢い良く読み上げた時には、このような読みをしたくなる。

△みが「ひらかれた窓」から朝鮮に入る場合。
惑星と呼ばれた君が周期にそって、物理法則に沿って、朝鮮に入っていく。一句一句を落ち着いて読み、「朝鮮に」を力強く倒置できるときには、この読みに導かれるだろう。

きみがひらかれる場合。
「きみ」の鎖国解除。いちばん平和に見える。朝鮮は侵入者ではあるが「きみ」がそれを受け入れているようにも見える。この読みに初読で導かれる場合、おそらく読者にはすでに、柔軟な定型がインストールされている。「きみはきのう惑星と呼ばれそしてひらかれた」の「ひらかれた」を、中五音としてリズムを踏んでいくと、これもありえる。
また「窓から入る朝鮮に」のフレーズ感は結句にふさわしい気もするのだ。「窓から入る朝鮮に」の4-3-5のリズムというのは、「殺してしまえホトトギス」「泣くまで待とうホトトギス」のような、まるっとまとめる感じがある。(ところで3-4-5はむしろ詠嘆に向かいやすいと思う。)

 
 歌全体の韻律をみよう。3-3-5-3-3-5-4-3-5、という、一首のうちでぐるぐると三周するような韻律のちからも、かなり大きな遠心力になっていて、圏外に飛ばされる。意味のまとめあげを妨げる。
 ここで、注意深い読者であるわれわれは、倒置法や区切りの可能性によって、朝鮮を侵すか朝鮮に侵されるか(=きみが侵すかきみが侵されるか)、あるいはそのどちらもか、そしてその後何が起こるのか、という複雑な状況を体験する。どちらにせよ(このどちらにせよということが大事で)、「窓から入る朝鮮」というフレーズには、隣の人、隣の国、そういったものとの接触の、一番なまなましい部分が的確に表現される。ここが肝である。〈きみ〉と〈朝鮮〉。「ひらかれた窓」によって際立つ「入る」の迫力。「入る」ものの強さは、堂々と「窓は開いていた」と言うことにある。不法侵入にせよ、新郎新婦の入場(窓から?)にせよ。「入る」という抽象的な表現でとどまったところが美点で、この歌の緊張感を高めている。

 「きみ」に対してはもちろん「わたし」が想定される。きみと朝鮮の宇宙的な運動、「わたし」はそれを独自に記録した。この記録のダイナミックさは、映画監督でもなく世界のコンポーザーでもなく、まさに「詩人っぽい」ふるまいである。わたしは結局、そこに惹かれている気がする。というのはつまり、世界を前にして、イメージを自在に使い、韻律をあやつり、余情を生み出す……典型的な詩的さ。「朝鮮」という、美しく強く、しかしうんざりするほど文脈まみれの、この語彙をさばくことができるほどの、詩のバランス感覚。



この一首は、歌集に収められるさいにこのような改稿がなされる。

きみはきのう惑星と呼ばれひらかれた窓から入るKoreaに (「純粋な勝負は存在しない」『かわいい海とかわいくない海 end.』)

「そして」の三音を犠牲にし、「ひらかれた」をはっきりと中五音の地位に就任させる。Koreaという英語にすげかえ、朝鮮という語のイメージ・文脈を脱色する。逡巡よりも断言。「惑星」のユニバーサルな方向にイメージが引っ張られる。作家論にとっては興味深い資料だが、改稿前の姿を知るものとして、わたしはこの改稿を惜しくも思う。「朝鮮」は単なる詩的な過渡期だったのだろうか?
濱田友郎

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