一首評〈第114回〉

人間に恋してしまつた ほのあかりする夕星ゆふづつに打ちあけてみる
安田百合絵 「オンディーヌ」/『外大短歌 第二号』

「人間に恋してしまつた」?
なら、別にいいだろう。何をそんなに懺悔することがある?君は何故「恋してしまつた」というまるで後悔するような物の言い方をする必要があった?人間が人間に恋してしまうのは当然のことだろう。そんな自明なことを宣言するために、なぜ三十一音の半分近くを差し出した?
いや、待てよ。そもそもの前提が間違っているのかもしれない。ひょっとして、君はそもそも「人間」では無いのか。人ならざる者なのか。それだと理には落ちる。人ならざる者が人に恋するというのは人魚姫の様に先例があるが、いつだって禁忌染みている様な気がする。それならば、この上の句にも納得がいく。
「ほのあかりする夕星に打ちあけてみる」
そして、君はその告白を夕星に差し出した。差し出し方も告白の内容に似て、実に危うい。夕星、すなわち金星は星の中では比較的強く光を放つ方だが、それでも危うい存在だ。月のように自分では光を放てない存在だ。「打ちあけてみる」という結句も幾分消極的な感じもする。「〜てみる」というのは試行の時などに主に使われる。それを考えると、この告白のような上の句と合っていない気がする。
いや、違う。この上の句だからこの下の句なのか。上の句は前述の説で読むならば、内容は現実的ではないというか成就する望みの薄い話だ。そして、この下の句。君はこの「恋」が報われる望みの薄いものであるとおそらく本能的に察知していた。そうでなければ、「〜てみる」という軽い語句は使わないはずだ。消極的に自分からなっているのではなく消極的にならざるを得なかったわけだ。そして、夕星。夕星が危うい存在というのは他の人にとっては異論があるかもしれないが、たぶん君にとっては危うい存在だろう。そうでなければ、「ほのあかりする」なんてわざわざ言わないはずだ。
ここまで、雄弁に語ってきたかもしれないが、これだけ雄弁に語っても、俺はこの歌について核心を突いた自信がないんだ。そもそも君は誰なんだ。いや、この質問自体が禁忌というか無粋か。ごめん、悪かった。それじゃ、おやすみ。

廣野翔一 (2012年4月17日(火))