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せつない とあなたの声で言ってみる あなたの耳に聞こえてる声
斉藤斎藤 (『渡辺のわたし』)
歌集の最後に収められている連作、「とあるひるね」の中の一首。
この歌を単体で読むときに一番のポイントとなるのは〈あなたの声〉だろう。即物的な解釈としては、「あなたの声に似せたわたしの声」などが挙げられるが、それでは本当に即物的な歌となってしまうし、この文体の奇妙な雰囲気と歌意がマッチしない。

〈あなたの声〉に対する読みとしては二通りほど思いつく。
一つ目は、「わたしが(何らかの力によって)あなたをせつないと発話せしめる」。少し意味が伝えづらいのだけれど、〈わたし〉の感情としてのせつなさが、〈あなた〉を無意識的にせつないと言わせるという感覚。わたし≒あなたであり、ふたりはひとつの共同体としてそこに居る。〈わたし〉と〈あなた〉の境界が曖昧になっているために、このような不可解な現象が起きた、という感じだろうか。

さて、二つ目の読みは一つ目の読みをふまえてもう少し歌に踏み込んだものである。
「わたしとあなたの肉体が入れ替わっている」のではないだろうか?
「せつない と(わたしが)あなた(の肉体)の声で言ってみる あなた(の肉体=わたし)の耳に聞こえてる声」。
『おれがあいつであいつがおれで』現象が起こっているのだ。とすると、この歌の中に〈あなた〉というフレーズは出てくるけれど、〈あなた〉がそこにいるという保証はない。この歌からは、作中主体(=〈わたし〉)がひとりで呟いているような、そんな感触を受ける。だからこそせつない。

なぜ二つ目のような突飛な解釈が出てきたのかと言うと、それはこの連作の構成にある。
「とあるひるね」(全七首)の一首目、二首目、七首目をそれぞれ引用してみよう。

ひるねからわたしだけめざめてみると右に昼寝をしているわたくし

あなたの匂いあなたの鼻でかいでみる慣れているから匂いはしない

ちょっとどうかと思うけれどもわたくしにわたしをよりそわせてねむります

一首目、〈わたし〉と〈わたくし〉は明らかに別離した存在として描かれている。〈わたくし〉はつまり、〈わたし〉の肉体なのである。

二首目、構造的には提出歌と同じである。〈あなた〉の身体の匂いを、〈わたし〉が、〈あなた〉の鼻をもってかいでみる。この歌からは、身体は〈あなた〉、精神は〈わたし〉のとき、嗅覚などの感覚器官は〈あなた〉のものに依存しているということだ。この設定は、連作の中の四首目、〈あなたの空もちゃんと青くてサンダルはあなたのかかとにぴったりしてる〉にも表れてくる。

七首目、先ほど指摘した通りに、〈わたくし〉=〈わたし〉の身体だ。確かにそれはちょっとどうかと思う体験だろう。そして、一首目で〈めざめる〉のと対になるように、連作の最後で眠りにつく。

あるいは、この連作自体が夢の中であると考えることもできるだろう。最後にねむることにより、現実世界へと帰還しそうな気配はある。

「とあるひるね」はそのような空想世界を斉藤斎藤的なもってまわった口語文体と、〈わたし〉と〈あなた〉の境界の無さによって緻密に紡ぎあげられた連作である。そこには〈わたし〉と〈あなた〉以外のノイズはほとんど現れず、ゆえに読者に〈わたし〉と〈あなた〉に対する奇妙な感覚を与える構造となっているのだろう。

その中でも提出歌は、「せつない」という発話以外になにも動作がなされないこと、場面の設定がないこと、一字空けによる時間的空白などにより、一見わけがわからないけれど、そのわけのわからなさとたっぷり余韻を含んだ「せつない」が、不思議なポエジーを生み出しているように思う。
評:阿波野巧也 (2013/05/15)

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