一首評〈第32回〉

谷のテント場に電波は届かない無形の空をぼくらは見上ぐ
澤村斉美 2000年9月15日の歌会より

 このホームページの「歌会の記録」では、2000年以降の歌会の作品の一部を閲覧することができる。そしてこの作品は、2000年9月15日の京大短歌の歌会に出されたものである。

 「無形の空」が、印象に残る歌だ。この歌を目にしたとき、そう感じた。目にした、というのは、少し不自然な表現かもしれない。しかしこの歌には、この表現がしっくりと合う。そしてわたしは、目にするという感じを与える歌に惹かれる。

 「無形の空」を想像してみる。縁取ってはいけない。輪郭をにじませて、輪郭をけして、できるだけ風通しをよくして、大きく、ゆったりと。

夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき 寺山修司 『空には本』

 この歌を見ていたら、はじめの歌と近しい何かを感じた。目に見えることのないもの、触れることのできないもの。ふたつの歌にたゆたうものが、確かにある。

 敢えて言うなら、空気だろう。滞空する空気。なんだかおかしな言い方だが、そういうものを、ふたつの歌はそれぞれにかかえている。
 滞空する空気は、止まることがない。作品は、作られることで過去になる。過去になる作品は、固まることでその美しさや哀しみを保つものもある。しかし、これらの作品はちがう。これらの作品からは、絶えず、今に向かって風が吹いている。
 今は、過去からの風を受け、やわらかく形を変えていく。

金田光世 (2005年6月30日(木))