一首評〈第61回〉

たっぷりのドレッシングの照り返しだけがすべてを愛してくれる
東郷真波 連作『発泡ひこうき』

短歌ってなんなんだ、と心細くおもう日がある。
わからないことだらけだ、と途方にくれる日がある。
そういう日の隙間に、この歌はするりとすべりこんでくる。

「照り返し」はもちろんだが「たっぷり」という言葉がいいな、と思う。
たっぷりのコーヒー、たっぷりの日差し、たっぷりの雪。たっぷりの、ドレッシング。
「ありったけ」のような押し付けがましさはないけれど、「いっぱい」よりもぬくもりがある。
両手で抱くとほっとするような温かさと、潤いを帯びた言葉だ。

主体は、他の一切について希望をもつことをあきらめたのだろうか。
表にこそ出さないけれど、根底では人間に絶望しているのかもしれない。
けれどそこに悲壮感がないのは、歌全体の語感のやわらかさと、
「照り返し」に「救い」を見出すことができるからではないだろうか。
眩しくもなく、しかし暗くもない、見落としがちな光。照り返し。
一筋でも、一滴でも「救い」を見出すことで
またそれがささやかであればあるほど、歌はより輝きを増すように思う。

物覚えは悪いほうなのだけれど、
この歌は一読しただけで、おぼえてしまった。
体の中にすとん、とおさまる音が聞こえ、
それ以来、わたしの肩に、背中に寄り添い
目を閉じれば、まぶたの裏にまでじんわりと染み出してくる一首となっている。

川瀬春奈 (2007年2月1日(木))