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相撲すまいする男すくなくなりしよりさやかなる水は店に売らるる
棚木恒寿 (『天の腕』)
この「天の腕」は、ちょうど1年前の2006年12月、棚木さんご本人に頂いた歌集です。棚木さんには初めてお目にかかったのに、あっという間に親しみを覚えてしまったことを覚えています。
当時私は、「サラダ記念日」以外の歌集を買ったことがないという、初心者そのものでした。この日は、「歌集」を所有することそのものへの新鮮な喜びと、完成したばかりだというその本のその豊かな厚みと美しい装丁に、とても興奮し、自宅に帰るなりページを繰り続けました。
ふとその手を止めさせたのがこの一首です。


ここでは
(a)「相撲する男」の減少

(b)「清かなる水」の減少(あるいは需要増加)
という2つの「事実」が語られていると、私は読みました。

(a)と(b)とは、それぞれ、およそ事実でしょう。
読者にとっても作者にとってもおそらく抵抗なく受け入れられているはずです。

私も90年代の小学校生活で、わんぱく相撲大会の選手を集めるのに毎年必ず苦労する大人の姿を見てきましたし、京都に住んで4年目の
今では、国内産・輸入物問わずペットボトル詰めのミネラルウォーターを買うことにまったく抵抗はなく、むしろそれが「ブーム」と呼ばれることさえあってか、積極的ともいえます。たしかにこれらは、ちょっぴり寂しいことなのかもしれません。
「相撲は日常の遊びや触れ合いの場から消え、テレビの中の大相撲でしかなくなってしまった」、「『裸の付き合い』が避けられるようになってしまった」、「きれいな水は当たり前に手に入るものではなくなってしまった」、などの切ないため息は、この歌も多分にはらんでいると言っていいでしょう。ひらがな表記の「すくなく」は、幼さと同時に懐古的な心情を感じさせます。

けれどもここでは、そういった「現代への嘆き」そのものはさておくことにします。

すると、この歌が特に私の関心を惹くのは、次の2点においてです。

まず、(a)と(b)との結びつきが、初め異質のものどうしの対置であるかのように思われるのに、やがてすっきりと落ち着いていく、その流れの面白さです。

(a)と(b)が同じ場で語られることに、私は一読したところでは少し違和感を覚えました。


ところがこの三十一文字の、一貫して滑らかなこと。

この滑らかさは、まずは先に述べた(a)と(b)の真実性の揺るぎなさに根ざすものです。

そしてそれ以上に、「相撲」と「清め」に注目したときにたち現れる、「縁語」ともいうべき強い関係のなすところだと思われます。

考え出すと、一体なぜこの2つのことが選ばれてここにあるのかすっきりと納得できるまでに、時間はかかりません。

相撲、力水、土俵、清めの塩、奉納相撲、神社、神道・・・・・・、
相撲が神事としての性格をもつことを歴史的な知識として知らなくても、経験的なイメージは「清め」や「神道」に結びついていきます。

イメージはどんどんふくらんでいき、(a)と(b)が緻密な結びつきを持つことがすっきりと解っていきます。クロスワードが完成するような快感さえあります。相撲と、それが元来もつ清らかさ、そして水は、切り離せないものなのだと納得する結果になります。

ちなみに偶然知ったことですが、
酒造家では、清酒の仕込み水と同じ水を風呂に使い、肌でその変化を感じるそうです。




2点目は、時間的な視点です。
(a)と(b)と、どちらが先に起こった現象なのか、実際はわからないことであるにもかかわらず、作者は、「なりしより」と、前者が先であることを明言しているのです。
水よりも人が先なのです。むしろ、格助詞「より」が原因の意味を持つことを含めると、人の変化が水の変化をもたらしたと読める気がします。つまり、相撲をとる心を忘れたから水も汚れたのだ、と。つい、よく耳にするありきたりな反省的エコロジーと同様にとらえてしまいそうです。
しかし、ここでの意味はそれ以上のものである気がします。

(a)のそもそもの原因は、水が清めの力をもつことを、人が信じなくなったことなのだ、と思えます。
だからこそ裸で挌闘することにより強い不安を覚えた。すると水は柄杓で口にするものではなくなり、やがて、「無菌」でボトル詰めされ、それ自体が「清か」であることをことさらに強調し売られるようになった。
……という具合に(b)にいきつきます。

「なりしより」の理由を考えると、ふと、こんなストーリーが見えてきます。

この歌が、ページをめくる私の手を思いのほか長く止めたのは、そのためでした。



この歌は、「相撲せよ」とも「水を買うな」とも言わず、嘆きもせず、ただ静かに、明晰なイメージとストーリーの展開を見せてくれました。
評:大森琴世 (2007/12/01)

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