☆5月の歌会日程をお知らせします。
Zoomを使ってのオンライン開催となります。
7日(土) 19時〜 司会:福田紗菜さん
15日(日) 13時〜 司会:舘野まひろさん
25日(水) 19時〜 司会:武田歩さん
「歌会の記録」より過去の歌会に提出された歌がご覧いただけます。
☆現在京大短歌では新会員を募集しています。
大学生・大学院生・短大生・専門学校生であれば大学・学年・年齢・経験問わずどなたでも入会できます。現役会員に声をかけてください。
興味をもたれましたら本ページ下部の「お問い合わせ」よりご連絡ください。
歌会の場所、形式などの質問も気軽にどうぞ。
歌会への参加も可能です。見学も可能です。
当会から作品を寄稿させていただいた東京四季出版発売の「現代短歌カレンダー2022」につきまして、当会の確認不足により誤植がございました。以下のように訂正し、お詫び申し上げます。
2月掲載の「もうここで棺になれよ冬の陽の中で信号待ちする電車」の詠み手
(誤)真中遥道 (正)城戸真色
京大短歌会へのご連絡にはこちらのメールアドレス、あるいはお問い合わせフォームをご利用ください。
高校時代、仲間と青春の定義について語ったことがある。そういう青臭い議論の常として、どういう結論に達したのかは思い出せず、盛り上がったという記憶だけが今でも残っている。もし当時この歌を知っていたならば即座に引用したのだが。
ミズキは五月ごろに咲くようだ。初夏、ぐんぐん上がる気温や強まる日差しは、成長していく若者に似合う。いきいきと緑の葉を広げた高木に、小さな白い花がたくさん咲いているのを思い浮かべる。この時期の風は、冬の寒風とも夏の熱風とも違って、爽やかな風ではないだろうか。色も形もない「風」が「みづきの下をかよふ」という修飾を受けて具体的になり、読者も一瞬この風に吹かれる。
青春はみづきの下をかよふ風、と言い切るかと思いきや「あるいは」と次のモチーフに移る。
遠い線路のかがやき。この言葉を見た途端、目の前から遠くまで線路が伸びてゆき、日光を白く反射させた。この線路は将来の比喩として捉えることもできよう。徒歩よりも自転車よりも速くて力強い鉄道は、しかし好きな方向に進めるわけではなく、レールの上をひた走るしかない。それでも行き先は眩しく見える。若者の情熱と同じくらい線路は熱くなっているはずだ。
風もかがやきも、とどめておくことができない。風はすぐに過ぎ去るし、かがやきは日が翳ると消えてしまう。作者にとって「青春」は過去なのかもしれない。
この歌は、青春とは?という問いに上の句で「みづきの下をかよふ風」と答えてから、下の句で「遠い線路のかがやき」という別解を示すような構造になっている。複数のモチーフを挙げているので押しつけがましさがなく、さらなる別解の想像も促す。
さて、私は多忙を言い訳に「みづきの下をかよふ風」にも「遠い線路のかがやき」にも気づかないような日々を送っている。少しだけ立ち止まる時間を作れば、どこかでまた青春に出会えるだろうか。