一首評〈第113回〉

鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふでもこれでいいよねと云ふ
光森裕樹 『鈴を産むひばり』

 光森裕樹の第一歌集「鈴を産むひばり」の第一首目であり、同歌集のタイトルとしても用いられている歌である。
「鈴を産むひばりが逃げた」らしい。正確に言うと、「鈴を産むひばりが逃げた」とねえさんが言ったのを弟(妹でないとは言い切れないが、同連作の他の歌では一人称「ぼく」が使われており、弟であると考えた方がしっくりくる。)である作中主体が聞いた、という場面である。そして、それに引き続いて「でもこれでいいよね」という発話がなされるのだが、この台詞を言ったのが姉であるのか主体である弟であるのかどうかは、どちらともとれるが、どちらかに絞らなければならないようなものではないように思う。鈴を産むひばりは逃げたのだというが、この姉弟にとって鈴を産むひばりがいる日々はどのようなものであったのだろうか。
 「鈴を産むひばり」などというのは現実には存在しえない鳥である。後で、「これでいいよね」という価値観が置かれるが、「逃げた」という一瞬の落胆を想わせる発言から、鈴を産むひばりがいた日々に、どこか日常を離れたような幸福感が存在したことを想起させられる。しかしそのひばりは逃げてしまった。姉は落胆し「鈴を産むひばりが逃げた」というが、次の段階では「これでいいよね」という判断がなされる。これが姉弟どちらの発話であったとしても「いいよね」という問いかけの仕方から、両者の間でこの事態に対する受け止め方が一致していることが読み取れる。
 少し飛躍したたとえではあるが、楽しい旅行から帰ってきた時に感じる何となく名残惜しい、しかし帰ってきのだ、という安心感に気づいていくような感覚に近いと言えるのではないか。すなわち非現実じみたひとときの幸福からの、唐突ではあるがあっさりとした落下と、現実的な日常へのゆるやかな着地、がこの歌で詠われていると読み取った。

小林朗人 (2012年4月10日(火))