一首評〈第133回〉

夕焼けがわたしを倒し渡ってく倒れて町の一部となりぬ
雪舟えま 連作「吹けばとぶもの」/『たんぽるぽる』

 町全体を橙色に染める夕焼けの中、帰り道にわたしの影が伸びる。歩く影を眺めているうちに、むしろ影こそがわたしの本体であるような心地がしてくる。影とわたしは、歩調を合わせて家路をたどる。いつしか日は沈み、影は見えなくなってしまった。いや、住宅、植木、車、電柱、人々…そのような者たちの集合体である町の一部になって、夕闇に一つの影を作り出しているのだ。

 夕日が沈むことを表現している「渡ってく」によって、夕日の光が町全体に行き渡る様子や、沈んでいくまでの時間が立ち現れわたしを中心とする世界を広げている。また、倒す/倒れるは死を示唆する言葉でもある。まるで過去にこの町で生きてきた人々の歴史が澱のように夕闇にたまっていき、いつの日かはわたしも死者としてそこに溶け込んで行くかのようだ。この町は、わたしの暮らす町なのだろうか。下の句は夕焼けに「倒される」、とせず「倒れて〜」と続いていることから、わたしが自らの居場所を町の中にもっているように感じられた。夕焼けのかすかなさみしさと、わたしが世界へむけるまなざしのあたたかさがゆっくりと届けられる。
 他にも掲出歌を含む連作「吹けばとぶもの」から引用してみたい。

焦げたのはほかより夢が多かったややいさみあしのクッキーでした
仏壇の蜂蜜白しばあちゃんは寝たままで風になる準備を
サイダーの気泡しらしら立ちのぼり静かに日々を讃えつづける

 三番目に引用したサイダーの歌でこの連作は締めくくられる。これらの歌の視座や言葉を反芻していくほどに、作中主体の日常の出来事ひとつひとつを肯定していくような愛がにじみ出てくる。

牛尾響 (2013年11月15日(金))