一首評〈第156回〉

来年もかならず会はん花棟(はなあふち)岸辺にけぶるこの紫に
河野裕子 「京都うた紀行」

この歌がきっかけで楝の花を知った。5月から6月の梅雨前に咲く淡いうす紫の花は,けぶれるように小さく可憐ではかない恋を思い起こさせる。

 作者は「京都うた紀行」の中で詞書的に,乳癌を告げられた京大病院からの帰り道に見た鴨川のきらめく流れは生涯忘れられぬほど切なく美しくかった,と書いている。そしてこう続けている。「この世は,なぜこんなにも美しくなつかしいのだろう。泣きながらわたしは生きようと思った。」

 東山魁夷が「風景との対話」の中で,熊本の練兵場で砲弾を抱えて敵戦車に突撃する訓練をしていた頃,熊本城から見た阿蘇の雄大さに深く感銘を覚えた,というようなことを書いていた。「あの風景が輝いて見えたのは(中略),私の心が,この上もなく純粋になっていたからである。死を身近に,はっきりと意識する時に,生の姿が強く心に映ったのにちがいない。」

 また,岡本太郎がこんなことを何かの記録映像の中で話していた。徴兵され中国の大地で匍匐前進をしていた,いつ死ぬかもわからない戦場で泥まみれになって地面に這いつくばっていたら,目の前に小さな白い花があった,これだ!これが命だ,これが美なのだと分かった,と。

 この歌に解説はおろか評すらも不要なのかもしれない。それほどに作者の内面が吐露されているし,そのストレートさが人の心を打つのだろう。私はこの歌に触れた時,不覚にも涙を流した。涙垂れ,涙垂れ,ぬぐう気も起きなかった。人は命の灯が陰り始めた時に,真の美しさに気づくものなのだろう。今自分は人生の第4コーナー,ここをを曲がったホームストレートでそのような真の美しさに出会うのかもしれないと思った。

岡鷹男 (2021年6月6日(日))