一首評〈第20回〉

どの恋人もココアはバンホーテンを買いあたしの冬には出口がない
雪舟えま 『かばん』 2002年12月号

すぐれたアートは時を止める。
たとえばある種の音楽を聴いているとき(ミスチルの「抱きしめたい」など)、
通常と逆のコード進行に出くわすと、音楽のなかの時間がさかさまに流れ出し、
それにつられて、現実の時間もふと止まってしまったかのような錯覚を覚える。
第二句と三句が長音「ー」でつながれているために、
読みのスピードは知らず加速し、そのまま結句の字足らずによって、
読者は冬の迷宮に誘い込まれる。
その世界の中心に、ココアが濃密で鈍重なものに異化され、置かれている。
このようなテクニック面の分析もできるけれど、
さして有意義なこととは思えない。感動は深まらない。
上の作品を一読して判る、一瞬、息がつまるような風圧。あるいは、切れ味。
それがなければ、短歌という詩形を選んだ意味がないと、
歌歴の浅いぼく(三ヶ月ていど)は考えている。
出典は短歌同人誌「かばん」2002年12月号。
(初出は2002年の「かばん」恒例新春題詠「ココア」とか。)
作者は「手紙魔まみ」のモデル(と想われる女性)。

下里友浩 (2004年5月1日(土))