一首評〈第31回〉

我は我を見せられずえひがその腹の白さを人に見するほどには
大口玲子 『東北』

「我」のくり返しと字余りにより、切羽詰まったように始まるこの歌は、二句目の句割れ箇所に踏み切り線があるごとく、一気に「鱏」という海中の生き物の世界にジャンプする。
続く箇所の「その腹の白さを人に見する」で読み手は、なるほどと思いつつ「我」の「鱏」の生き方に対する憧れを感じ取るが、結語の「ほどには」にて、その憧れに主体のそこはかとない諦めを足すことになる。

主体は空想、あるいはテレビなどの映像でエイを見ているのではなく、どうやら水族館といった場所にいることが、集合的に登場する「人」という語から想像できる。
エイが水槽の高い場所を泳いでいるのか、水槽の壁面をのぼるように泳いでいるのかわからないが、いずれにしても、人々はエイを見上げていると思われる。
エイの腹部の白さが際だつその空間は、決して明るい場所だとは言えないだろう。

自己を他者にうまく表現できない「主体」が薄暗い場所で「人」にまぎれながら「鱏」を見上げている。
この一首に出会ってからの数日は、そんな静かで淋しげなシーンがなかなか頭から離れなかった。
それでは私自身は自己を表現できているのだろうか、という疑問とともに。

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掲出歌は大口玲子の第二歌集『東北』(連作「海星よ」)に収録されている。
一首評であるので詳しくは触れないが、歌集中にはこころの病の苦しみを詠んだものが多い。
作者のおかれた状況とあわせて読むと「我は我を見せられず」という語は一層切実に響く。

光森裕樹 (2005年6月1日(水))