一首評〈第9回〉

あの粒の残していったみな跡を拾いつづける車窓の雨粒
柴田悠 1999年6月9日の歌会より

点々とある雨粒どうしがむすばれて一筋の流れを形成してゆくという、ガラス窓でのやりとり。
風と重力がもたらす、あの透き通った流動感がシンプルな言葉で伝わってくる。
上から下へ流れる雨水の追いかけっこを、敢えて「拾う」と表現したことで、「雨粒」たちは生命を得て、その営みは繊細さを増して去りし者への救いを提示しているようだ。
スタイルとしては体言止めが歌全体を「雨粒」の説明で終わらせ、閉じた世界観を感じさせるが、それでいて、初めと終わりを「粒」という語で括ることによって、一首のなかに永続的な景の循環が表現されるに至っているといえよう。
雨粒に限らず、私達もなんとはなしに「あの…」という場所や相手を定めて生き、又やがて誰かからそのように指し示される可能性をも秘めつつ、日々を過ごしていることに気づかされる歌である。

松本隆義 (2003年2月1日(土))