歌会の記録:2011年6月21日(火)

歌会コメント

参加者10名。火曜日なのに人多し。
川添万菜美さん、初参加。ありがとうございました。
時間に追われるように歌会。時間節約のため、次回からは平日歌会は事前に詠草を集めよう、との結論に至る。
湿った暗い場面、しかしその中になにかあかるいものが浮いているような歌が多かったです。

詠草

※以下の歌評は筆者、すなわち藪内が歌会中に取ったメモと、その感想から成り立っています。これらは筆者の主観的な文章であり、厳密に客観的な記録ではないこと、私の今の感想が(人によっては多分に)含まれていることに注意してください。



捨てられた傘へと傘を差しかける最終バスを待つ束の間は  笠木拓

「捨てられた」が主観的で、それが良くも悪くも一首の立ち方を決めている、との評。「差しかける」の景が割れました。他にもいろいろ難癖付けられていましたが、私はいい歌だと思ったのでこの歌を一首目にしたのでした。


若い頃太宰のふりしてたんでしょう「キスしてあげよう」祖父の口癖  川添万菜美

「して/たんでしょう」の句跨りが気になる、気にならないでもめました。「真似」でなく「ふり」なのが良い、とのこと。下句は座りが悪いので、やはり語順を変えるか、助詞を入れる必要があるでしょう。個人的には軽いタッチが魅力的ですが、「頃」はひらがなのほうがいいと思います。


閉ざされた傘をかざして心だけだけど沖へ沈みにゆくから  廣野翔一

前の二首もそうでしたが、今回の歌会は皆の評が凶暴でした。「だけ/だけど」の句跨りが駄目、歌に対してこの部分がうるさすぎる、「だけど沖へ」が読みづらい、上・下句の相関がわからない、等。「閉ざされた」は傘には使わない語なので面白い、という意見も。個人的には主題でないところが悪目立ちして、焦点が絞りきれないところが駄目だと思います。たとえば「心だけ沖に沈めていることの私のよこに閉ざされた傘」とかにしたら印象が全然違います。


初退社のドアに差し込むぎんいろの小さき鍵がさくっと回る  吉岡太郎

「塔」に出ていそうな歌。「ぎんいろ」のひらがな書きになんともいえない味があり、そこはさすが。「回る」が自動詞なのが面白い、という意見あり。


夕刻にせめぎあう水 生も死も〈女〉を通り抜けて響けり  大森静佳

せめぎあう水ってなんだろう?とか、響けりってなんだ?なんで通り抜けてから響くんだ?等、批評が迷路に迷い込むような歌でした。上句の「水」が、下句の「響けり」にかかっている、との意見あり。


虐殺のニュースを聞きしその夜に白きアゲハを逃がす少年  小林朗人

「白きアゲハ」が素晴らしいと思います。虐殺と夜のなかにおかれることが、白きアゲハをこんなにも詩的で美しい、神的な存在にする。ただ、上句と下句がつきすぎなので、そこが魅力を半減させているところはあります。あと、厳しいことを言えば説明的ですね。とくに「聞きし」とか。


夕空は世界にねむれ明日といふ白き果実を刈り取るために  藪内亮輔

作中主体が最強、との評。作中主体と作者に対しての評が多かったので、もう少し歌の評を聞きたかったです。


Yシャツがサッと乾くよな晴れの日に濃いめの影だけ残してった君  杉山天心

全体的に字余りが重く、あまり効いていないのでは?との評がまず出ました。よな(ようなの省略)についての批判も続出。ただ、一首全体の突き抜けるようなすこやかさに強い魅力を感じた人が幾人もいて、これはこれでいいんじゃないか、という感じに終了。個人的には「だけ」という強いことばは短歌には向かない、という点と、晴れと影の対比が見え過ぎている点が気になりました。


シーリングワックス垂らす眼にはゆらめいている8本の足  佐藤右京

最後の10分でしたが、景が皆てんてんばらばらで大混乱。私は当初、眼からシーリングワックスを垂らしているのかと思っていました。というより今も景がとれていないのですが…。「8本の足」が蛸なのか違うのか、など最後まで錯綜しました。
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