『京大短歌』26号は、「葉ね文庫」「京大ショップルネ」「ホホホ座浄土寺店」でお買い求めいただけます。

歌会のお知らせ

☆12月の歌会日程をお知らせします。
オンラインでの歌会はZoomを使用します。

5日 18時45分〜 対面
14日 18時45分〜 対面
22日 19時〜   Zoom
30日 16時〜   Zoom

「歌会の記録」より過去の歌会に提出された歌がご覧いただけます。

☆現在京大短歌では新会員を募集しています。
大学生・大学院生・短大生・専門学校生であれば大学・学年・年齢・経験問わずどなたでも入会できます。現役会員に声をかけてください。

興味をもたれましたら本ページ下部の「お問い合わせ」よりご連絡ください。
歌会の場所、形式などの質問も気軽にどうぞ。

歌会への参加も可能です。見学も可能です。

会員誌『京大短歌』27号

京大短歌 27号

『京大短歌』27号が完成しました。 現役会員16名とOB・OGを合わせた37名の作品を掲載。特集として座談会「昨年を振り返って」、「贈る歌」、「短歌の花束」を収めた168ページの一冊です。 通販をご希望の方は「お問い合わせ」ページに記されたメールアドレス、あるいはフォームにてご一報ください。

誤植のお詫びと訂正

当会から作品を寄稿させていただいた東京四季出版発売の「現代短歌カレンダー2022」につきまして、当会の確認不足により誤植がございました。以下のように訂正し、お詫び申し上げます。

2月掲載の「もうここで棺になれよ冬の陽の中で信号待ちする電車」の詠み手
(誤)真中遥道  (正)城戸真色

お問い合わせ

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一首評

水鳥の潜りしのちをたゆたえる海はおそろし音立てなくに
花山周子 『風とマルス』

 実際のところ、祭りの祝祭感がもっとも高まるのは、祭りそのものが行われるときよりも、その祭りの前日の準備、さらに言えば準備が完成する間際であろう、ということは容易に想像がつく。つまり、祭りが始まりつつあり、それを完成させるのが我々なのだという暗黙裡の連帯感は高揚をもたらすのだが、その瞬間こそがもっとも「祭り」的なのである。完成されていくと同時に現実味を帯びつづける祭りとその予感の膨張は、祭りそのものを越えてゆく。祭り以上の祭り。
 ここで注目すべきは、「つつある」という状態である。祭りが完成し「つつある」という状態は、祭りの準備に祭り以上の祝祭感をもたらし得る。
 掲出歌において、作中主体が「おそろし」と感じたのは、もちろん水鳥が潜った瞬間ではなく「潜りし後」であるから、ここにはタイムラグが存在する。水鳥が潜る瞬間を作中主体が観測する。水鳥は水中で狩りを行うためしばらくは水上に姿をみせない。水鳥が水中にいる間、作中主体は海を見つづける。その時間のあまりの長さに不安が募りはじめる。不安はやがて水鳥が潜った後も無音で揺蕩いつづける海へと対象を移す。ここで、海が外見上は「たゆたう」という状態を持続していることが、反転して水鳥を呑み込んだ後の海の内部の変化をもたらしている。それは事実上の変化ではなく、認識上の変化であるが、作中主体の認識の変化は読者の認識をも変化させ、水鳥を含んだ海の内部がどこか蠢いているように感じられる。ここで作中主体及び読者が感じている不安は、海という圧倒的な存在に対する畏怖である。この歌は、古来畏怖の対象とされてきた海の雄大さを、描写によってではなく、認識の変化によって伝達している。そして、この伝達をもたらしているのが、前述した「つつある」という状態である。つねに揺蕩いつづける海が、おそらくそれまではただの景色として存在していた海が、水鳥を呑み込んでなお無音で揺蕩いつづけていることによって、畏怖の対象としての存在感をもち「つつある」。そして、その間の海の存在感は、私たちが見たり想像したりする海を超えているはずだ。やがて水鳥が水上に姿を現せばこの畏怖も失われるかもしれないが、すくなくとも海が私たちの畏怖の対象となりつつある間、その海は海以上の海なのである。

奥村鼓太郎 (2022年10月16日(日))

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