歌会の記録:2000年10月26日(木)

歌会コメント

歌会 参加者数7名

詠草

01 大三角の頂点そびらに沈ませて黒き西山 橋を渡って  水野ふみ

02 髪を染める日には決まって雨の降りまた秋色をたのんでしまう  田中克尚

03 前照灯そば通るたびセーターの毛先に露のここだくの乳  森雅紀

04 甃の窪に溜まれる昨夜の雨死を思いたること決してなし  島田幸典

05 紅顔の至福の笑みの紙袋ひねりつぶしてリボンのごとし  森雅紀

06 要らぬ紙要る紙分けて要る紙にやっぱり要らぬ紙があるなり  澤村斉美

07 あい見ての文月葉月が見えざりしじぶんが見える長月となる  島田幸典

08 絶命の声はひっそり浴槽の湯が暗がりへ抜け切った音  澤村斉美

09 長調に転じて猶も激昂す、旧盤の夜の女王幾度も幾度も  水野ふみ

10 くたばれ社会現象学
  持っていく持ってきたいよ、ほら、そこ 原身体の平面に聞け  柴田悠


[ひとこと評]

烏丸今出川上ルの同志社学生会館から京大会館まで、自転車で(きっと)15分。途中河原町今出川のミスタードーナツに立ち寄り、きなこボールとバナナマフィンを買ったから、18分。学生会館で映画を見、歌会へやって来ました。映画に出てきた鎌倉の海が波打っています。参加者は、徐々に集まって7名。終わりのほうで吉川さんがひょっこり来てくださいました。

01 「大三角」は星、「西山」は京都盆地の西方になだらかに連なる山並みのことでしょう。真っ暗ではなくうすく青みがかった夜の空、その下方を山並みが切り絵の黒のように切り取り、大三角の半分が沈もうとしている。悠々とした情景の思い浮かぶいい表現だと思いました。「私」はその西山に向かって進んでいるのでしょう。この結句から心情を読むのは難しいので(しかし「橋を渡」るのは不安定さを表すという意見も出て、おもしろいと思いました)、むしろ一首を情景で通してはどうだろうかという意見も。

02 いつもカラーリングをしている人ならば、染めようとする度に「新しい色にしてみようかな」と思うこともあるのでは。髪を切る時にいつもとは違う髪形にしたくなるのと同じように。けれども、迷って迷って結局いつもと同じに落ち着いてしまう。この歌では、そういった倦怠感や惰性といったものを「雨」と結びつける意図があったのではないでしょうか。「きまって」、「秋色」、「〜しまう」という言い方がそれを見えにくくしているのかもしれないです。

03 歩いている横を、さあっと車のヘッドライトが照らして過ぎていくところでしょう。セーターって細い毛がたくさんふわふわと立ち上がりますね。雨の日なんか細かい水滴が毛先についてきれい。そんな雫がライトによって一瞬見えた、というところ。その滴るようなたくさんの雫のことを液体の「乳」と言っていておもしろい、と私は思ったのですが、乳房のことであろうとの読みもあり。「の」の使い方で分からなくなっているのでは、という意見も。

04 石畳の隙間の窪んだところに溜まった水に目がいく。この視線は、日常にあって非日常ですね。昨夜の雨だから、次の日の、雨のあがった明るく湿っぽい中を歩いているのでしょう。そして下句。「死を思」うことが、いわゆる「死とは」という問いならば、「決してない」が逆説になると思います。上句を考えてみると、それよりはもっと身近な死、自分が死ぬということを考えているのではないでしょうか。上と下のつき方の良し悪しをどう判定するか、意見の分かれるところでしたが、上句が下句の理屈になっているということはなく、つきすぎず離れすぎずでうまくいっているのではないかと思います。

05 「紅顔の至福の笑み」って、おもしろい表現だなあと思いました。オタフクやペコちゃんなどの具体的なものにした方がいいという意見と、ここからあれこれ考えさせて想像させるところがおもしろいんだという意見がありました。にこやかで明るい感じの紙袋を捨てる時にぐしゃっとひねってから捨てる。よくやりますよね。ひねりつぶしたものを最後にリボンのように見ることで一首の終り方が軽やかに明るくなっています。一首の中で起こっているイメージのねじれが味わい深い。作者によれば、「紅顔の至福の笑み」はミスタードーナツの、だそうです。

06 作者、私です。1ヶ月に1度くらい紙の束を分けることがあります。分けても分けても、要る方から要らない紙が「やっぱり」出てくる。この「やっぱり」が問題になりました。感情を多分に含む言葉なので、読みの押し付けに感じられるという意見がありました。なるほど。

07 最初、「文月葉月が」が、「見えざりし」と「長月になる」のどちらにかかるのか迷いました。また、「見えざりし」の「し」が連体形で、(1)強調として「し」でいったん切れるのか、(2)「じぶん」にかかるのか、・・。二通り解釈してみましょう。/(1)恋する人に会ってからの文月葉月の間は夢中で、恋愛の渦中にある自分というものが見えていなかったのだが、少し時を重ねて、自分というものを客観的に見ることのできる長月となった。(2)恋する人に会ってからの文月葉月が過ぎて、それまで見えなかった自分のことがよく見える長月となった。/こうしてみると、(2)の読み方のほうが、歌の良さを減じていることが見てとれるのではないでしょうか。(1)の場合、「文月葉月」という夏が焚けていくときの季節感と、恋する人に会ってからさらに高まってゆく恋心とが重なり合うという点で、「文月葉月」は動かしがたくなっています。始まった恋愛に夢中で自分が見えないという状態もここから引き出され、ふっと暑さの弱まる長月になって少し冷静に自分のことを見るという過程も無理がありません。季節感と恋愛の一過程を重ね合わせていることが一首を味わい深くしており、それは「あい見ての」からも分かるように、季節感を大事にする古典和歌の恋歌にも通じるところがあります。これに対して(2)の場合は、「文月葉月」を単なる2ヶ月という期間の意味合いで使っている可能性が高くなり、「文月葉月」のポテンシャルを活かしきっているとは言いがたく、また、「見えなかったじぶんが見える」と上の句とのつながりが希薄になり、それが作者による長月の恣意的な説明になってしまうことも考えられます。以上のように考えた上で、私は(1)の読みを取ります。とはいうものの、言葉のかかり方の判断に迷う点を、どう判定したらよいのか分かりません。そこで、文法的にも誤りがなく、歌のよさを損なうことのない読み(3)がでてきます。文法的には(3)。「彼女に会ってからの文月葉月は夢中で、何も目に入らなかった、そんな自分を見つめることにできる長月となった」といった具合。かかり方があいまいになる場合の多くは読みを惑わすとして問題とされますが、この歌の場合は、読者がここまで読み込んでかかり方を決定していいのではないかと思いました。

08 作者、私です。「風呂の湯を落とす時の、あの渦を巻いてごおおじゅるじゅるじゅる〜きゅるっていう音ですね」と森さん。問題は上の句にあります。「絶命の声」と言い切ってしまうことで、読みを読者に押し付けることになり、またそれを「ひっそり」と言うことは先に答えを言ってしまっていることになります。「絶命」は欠くことができないのですが、表し方を考え直そうと思います。

09 「夜の女王」はモーツァルトの「魔笛」に登場するハイテンションな女王。高笑いのようなソプラノですね。これは実は女王の怒りを表しているそうです。ソプラノは、確かに幾度も声の最も高いところへ上りつめます。それを「激昂する」というのはおもしろく、的確な表現だなと思いました。「旧盤の」に作者の思い入れがあるのかどうかがよく分からないところで、あるいはこの一首の中では重点のおかれていないところなのかもしれません。

10 「原身体」とはなんぞや?というところで紛糾。作者にもう一度聞いてみたところ・・・「上の句は故郷の友達のメールによって喚起された故郷の思い出への思い。そのとき原身体は故郷へと手を伸ばす。原身体とは・・物質を、例えばイスなどといった意味として認識しない状態。物質と同化した状態。例えば胎児や分裂病者はこれに近い体験をする。風景に感動した瞬間 風景に溶け込んで自分が消えて同化したり、感動した音楽に同化したりするのは、原身体性に近い瞬間だ。原身体の平面とは 意味を感じる経験がそこに刻まれてゆくような素地のこと。以上から歌の真意は・・望郷の思いの下に横たわる原身体は、故郷と物質として繋がっている。しかし、意味を通してしか認識できない私は、その原身体性を感じることは、近似的にしか不可能である。この皮肉から、またこの歌が学問用語を用いていることを示すため、詞書を入れた」 ということでした。原身体は・・物質を言葉で認識しない状態、と考えてもよいのでしょうか?


[歌会後記]

だんだんひとことじゃ済まなくなってきているひとこと評。今回は07の歌が、自分の中でふんきゅ〜していたのでこのような状況になってしまいましたが、すんなり読めた方にはあるいはまどろっこしいかもしれません。すみません。07に関して、ヒントをくださった作者の島田幸典氏、スペシャルTHUNKSです。それから、9通のメールによってその歌の真意を明かしてくれた柴田悠氏、メガトンTHUNKS、これからもよろしゅうおねがいします。歌会後は、吉川さんも加わり「くれない」へ直行。好きな俳優という話題で盛り上がりました。松嶋奈々子って意外と人気がない。そういうものかしら?美人過ぎてはいけないらしい。ちなみに私は渡部篤郎が好きです。笑い顔と骨格がね、よいのですよ。そんなわけで、またの日、お会いしましょう。
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